竹島問題の核心:韓国側の主張根拠と日本側の反論、歴史的経緯の全貌
日本と韓国の間において長年議論が続いている竹島問題は、歴史的経緯や国際法上の解釈を巡り、双方の主張が真っ向から対立している重要課題です。2026年現在も、日本の防衛白書における記述や外交上のやり取りにおいて双方の立場が示されるなど、緊密な検証が求められています。本記事では、竹島問題を巡る韓国側の主な主張やその歴史的・国際法的な根拠、それに対する日本側の反論、そして国際法上の位置づけや最新動向について詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:韓国側は古文書の記述や1900年の勅令等を根拠に「古くからの固有領土」と主張している。
- 要点2:日本側は江戸時代からの渡海や1905年の閣議決定による主権確立を根拠とし、韓国の主張に反論している。
- 要点3:1952年の李承晩ライン設定以降の実効支配継続を巡り、国際司法裁判所への付託提案が拒否され続けている。
竹島韓国側主張の要点と歴史的・国際法的な根拠
韓国政府が主張する竹島(韓国名:独島)の領有権の根拠は、主に歴史的文献の解釈や近代の法令に基づいています。韓国側の主張における要点は、大別して以下の要素で構成されています。
まず歴史的背景として、韓国側は三国史記などの古文書や官撰文献に「うざん(于山)」などの記述が見られるとし、これが現在の竹島を指していると主張しています。また、朝鮮王朝時代の人物である安龍福(あんりゅうふく)が17世紀末に来日して幕府と交渉した際のエピソードなどを引き合いに出し、当時から朝鮮が領有していたと位置づけています。
さらに近代の根拠として挙げられるのが、1900年に大韓帝国が発令した「勅令第41号」です。この勅令において、鬱陵島の周辺管轄区域に「石島」が含まれており、これが現在の竹島に該当するというのが韓国側の主要な論拠となっています。これらの歴史的経緯を踏まえ、日露戦争期における日本の島根県編入(1905年)よりも前に、韓国が先んじて主権を有していたという主張を展開しています。

日本側の立場と韓国側主張に対する詳細な反論
こうした韓国側の主張に対し、日本政府は歴史的事実および国際法上の観点から明確な反論を行っています。内閣官房や外務省などの公式資料によると、日本側の立場は一貫して「竹島は歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土である」という点に立脚しています。
日本側の主な反論と根拠は以下の通りです:
- 古文書の解釈の相違:韓国側が主張する古文書の「于山島」などは、実際の鬱陵島のすぐ隣にある島や、当時の地理的認識の混乱に基づくものであり、現在の竹島を指しているという根拠にはならない。
- 1900年の勅令について:「勅令第41号」に登場する「石島」は竹島ではなく鬱陵島の属島(竹石島など)を指しており、地理的範囲や距離の面からも竹島が含まれていたとは認められない。
- 主権の再確認と国際法:日本は1905年に閣議決定を行い、島根県への編入を法的・公的に行い(主権の意思の再確認)、主権を確立した。これは国際法上適法な無主地先占にあたる。
- サンフランシスコ平和条約の枠組み:第二次世界大戦後の1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約において、日本が放棄すべき朝鮮の領土の中に竹島は含まれておらず、アメリカ政府の書簡等でも竹島は日本領として確認されている。
竹島問題を巡る経緯:李承晩ラインの設定と不法占拠の始まり
現代における竹島問題の直接的な発端となったのは、第二次世界大戦終戦直後の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩大統領が一方的に公海上に設定した「李承晩ライン(隣接海洋に対する主権宣言)」です。このライン内に竹島が一方的に取り込まれ、韓国側による実効支配の動きが加速しました。
当時、日本政府はただちに抗議を行いましたが、朝鮮戦争の混乱期や日韓国交正常化前の状況下において、韓国は1953年の巡視船への発砲事件や、1954年の海洋警察隊の派遣などを通じて竹島への常駐を進めました。これ以降、現在に至るまで韓国による実効支配が継続しています。
平和的な解決に向け、日本側はこれまで複数回にわたり国際司法裁判所(ICJ)への付託を提案してきましたが、韓国側は「領有権紛争は存在しない」として一貫してこれを拒否し続けています。

【一覧表】竹島問題を巡る主な経緯と双方の主張対比
| 時期・年代 | 出来事の概要 | 日本側の立場・根拠 | 韓国側の立場・主張 |
|---|---|---|---|
| 江戸時代初期〜 | 日本人が渡海し、竹島での漁猟や渡海許可(大谷家・村川家)を実施。 | 江戸時代初期から実効的に支配し、領有権を確立していた。 | 古くからの韓国家庭・文献に記録があり、朝鮮の領土であった。 |
| 1905年(明治38年) | 閣議決定により島根県へ編入、官報告示。 | 主権の意思を再確認し、国際法上適法に日本の領土として編入。 | 日韓併合に向けた帝国主義的な侵奪行為であり無効であると主張。 |
| 1951年(昭和26年) | サンフランシスコ平和条約署名。 | 日本が放棄すべき地域に竹島は含まれず、日本領として維持された。 | 戦勝国としての領有権主張や、除外規定の解釈を巡り対立。 |
| 1952年(昭和27年) | 李承晩ラインの設定。 | 国際法に違反する一方的なライン設定であり、不法占拠の始まりとする。 | 海洋主権の保護および国権の回復措置として正当化。 |
| 1954年、1962年、2012年 | 日本政府による国際司法裁判所(ICJ)への付託提案。 | 国際法にのっとり、冷静かつ平和的な司法解決を提案。 | 「独島は紛争の地域ではない」として拒否を継続。 |
2026年最新動向と外交上の位置づけ
2026年現在においても、竹島を巡る両国の姿勢には大きな隔たりが存在しています。日本政府は毎年発行される防衛白書や外交青書において、竹島が日本固有の領土であるとの立場を明確に維持し続けています。これに対し、韓国外交省は日本側の政府文書や閣議了承の発表に対して即座に報道官論評などを出し、「不当な領有権の主張である」として強く抗議・撤回を求めるというルーティンが続いています。
実務レベルや観光・経済面での日韓関係が緊密化・改善を図る局面が見られる一方で、領土問題に関しては双方の国内世論や国家主権の象徴としての重みがあるため、根本的な解決に向けた外交的妥結点は見出しにくいのが実情です。韓国側では引き続き灯台や宿泊施設などの管理・運用が行われており、上陸制限や警備が続けられています。
【竹島韓国の主張】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:韓国側が主張する「独島」の名称の由来は何ですか?
A1:韓国側では、古くから呼ばれていた「独立した島」あるいは朝鮮語の音訳に由来すると説明されていますが、日本側は歴史的な公文書において「竹島(当時の松島)」が一貫して日本の漁業者等によって利用・管理されていたことを指摘しています。
Q2:なぜ日本は国際司法裁判所(ICJ)での解決を提案するのですか?
A2:日本は領土主権の争いについて、感情的な対立を避け、国際法と国際秩序に基づいて平和的かつ客観的に解決するため、第三者機関であるICJへの付託を一貫して提案しています。
Q3:サンフランシスコ平和条約における竹島の扱いどうなっていますか?
A3:条約上、日本が放棄すべき韓国の領土に竹島は含まれておらず、アメリカ政府の公式見解や当時の交渉経緯からも、竹島は日本領として残されたことが確認されています。
まとめ:歴史的・国際法的な事実に基づいた冷静な理解に向けて
竹島問題を正しく理解するためには、単なる感情的な対立を超えて、双方の主張の根拠となる歴史的資料の検証や、国際法における解釈の差異を冷静に見つめることが不可欠です。韓国側が主張する古文書の解釈や1900年の勅令に対し、日本側は江戸時代からの実効支配や1905年の閣議決定、さらにはサンフランシスコ平和条約の枠組みを根拠として厳格な反論を行っています。2026年現在も外交上の摩擦点となっているこの問題について、正確なファクトと経緯を把握し続けることが重要です。
Sources:
1. 韓国外交省、防衛白書の竹島についての記述に抗議「即刻撤回する —
2. 韓国の主張を見てみよう|内閣官房 領土・主権対策企画調整室 —
3. 日本は国際司法裁判所への付託を提案、韓国は拒否 - 竹島 - 内閣官房 —
4. サンフランシスコ平和条約においても竹島は明確に日本の領土 —
5. 竹島問題学習コーナー - 島根県 —
6. サンフランシスコ平和条約の領土条項と竹島 ‐1951年の交渉経緯を — (出典: 竹島 韓国 の 主張(Yahoo!ニュース))